お客様は神様の真の意味 ここが変だよ日本

接客サービスに対するクレームの中には、「店員は何でも言うことを聞いて当たり前」と思い込んでる人もいますよね。

僕も一度60代ほど度思しきおじいちゃんのお客さんから

「お客様は神様だろうが!」と言われたことがあります。

 

けれどその考え方は間違いです。

本来店員とお客は対等な関係なのです。

お客様は神様に込められた本当の意味と、自分のことを王様のように思いこんでいるお客さんが増えてしまった理由を書いてみました。

 

お客様は神様の本当の意味

 

 

「お客様は神様です」というのは、三波春夫がステージ上で歌うときに言った有名な一言です。

歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです。

超一流プロ歌手の素晴らしい心構えです。

 

三波さんご自身も公式サイトで書かれている通り、

「お客様は絶対的な存在だから、どんなに理不尽なことをされても我慢せよ」

という意味で言ったわけではありません。

 

・・・にもかかわらず、この有名な一言を拡大解釈してしまっているお客さんというのはけっこういます。

僕のような接客の仕事をする人たちを時折苦しめているのです。

 

「お客様である俺は神だ!」と言わんばばかりに、店員に向かって理不尽な要求やわがままを押し通そうとするのは間違っています。

 

お客様が神様になっていった経緯

僕が考えるに、上下関係を大切にする日本人の文化と行き過ぎた接客サービスが、神様思考のお客さんを多く生み出してしまったのだと思います。

家来のようにペコペコとなんでも言うことを聞き、一切の反論をしないというサービス提供者の姿勢が、クレーマーや偉そうなお客さんを生み出してしまっているのです。

 

上下関係を重んじる日本人

身分差別があった昔の日本では、下の身分のものは上の身分のものに平身低頭しなければなりませんでした。

TVで時代劇のドラマなどを見ていると、大名様の行列が通るシーンで下々のものが土下座をしていたりしていますよね。

(実際には映画やドラマの中のみで、誇張されている部分はあるらしいのですが。)

 

江戸時代でも特には身分差別の強かった土佐藩(高知県)では、武士の階級も上士と下士で厳重に区切られていました。

上司が通りかかったら、身分の低い下士はすぐさま道をゆずり、膝をついて頭を下げなければならなかったそうです。

 

そういった上の人に対しては、失礼な態度を取ることはもちろん。

例え相手がどんなに理不尽なことを言ったとしても、言い訳をしたり、文句を言ってはならないという風潮が受け継がれてきました。

 

上下関係を重んじる精神は、身分差別の無くなった現在でもあります。

例えば職場の上司と部下の関係。

部活の先輩と後輩の関係。

親と子供の関係。

そして店員とお客様の関係。

 

目上の者を敬うという考え方や、きちんと行き届いた礼節があるという点においては素晴らしいと思います。

しかし接客サービス業を見ていると、この異常さが見て取れます。

 

過剰サービス

日本の接客は紛れもなく世界トップです。

大してお給料ももらえないのに、バカみたいに丁寧です。

(海外だとチップを出さないと味わえないくらいのレベルだそうな)

 

レジが並べばすぐヘルプに人が来るし、

「お待たせして申し訳ございません!」

と敬語まで使うというのは、世界でも稀です。

海外だとパイプ椅子に腰かけて、ラジオを聞きながらレジ当番をする光景も当たり前なのに。

そこらへんの牛丼屋の店員さんの中にも、ホテルマン顔負けの接客をする人だっています。

 

にもかかわらず、一流の接客をしても時給は一向に上がらないのです。

コンビニの仕事など過剰サービスで溢れ返っています。

一昔前は商品をレジでスキャンするだけの小売店でした。

ところが今のコンビニというのは、小売店とチケット販売店とカフェと郵便局と配送センターがセットになったようなものです。

いつの間にか公共料金のお支払い受付を始め、コーヒーやドーナツの提供を始め、amazonの荷物を受け取れるようになり、近日ではメルカリの発送まで始まりました。
そして次々に増え行く電子決済の数々(paypayとかd払いとかワケ分からん)

 

なぜ仕事量は増えるのに、お給料は一向に上がらないのでしょう?

仕事がどんどん増やされて、現場の負担はほったらかされています。

 

おまけにお客さんには、絶対服従をすることが当たり前のような空気ができています。

おもてなしの行動を取ることは素晴らしいと思うのですが、やらざる負えない圧力というものを感じます。

 

おもてなしの精神はお客さんを甘やかしている

たくさんのサービスが普及したおかげで、驚くほど安いお金をだすだけで、高レベルなサービスを受けることができます。

しかしその状態を当たり前だと思ったお客さんの中には、節度を越えたわがままな要求をしてくる人がたくさん現れました。

こうした世界トップレベルのサービスをうけることに慣れてしまったことから、

「店員相手なら何をしてもいい」

という間違った考え方を持つ人を増やしてしまったのです。

 

過剰サービスがクレーマーを生み出し、接客のストレスに疲れて従業員はどんどん辞めていき、人手不足に苦しむという悪循環が生まれています。

おもてなしの精神が仇となっているのです。

 

海外の場合…

海外だと上下に分けて考えるという構図はありません。(欧米)

店員とお客はあくまでも対等な関係です。

海外にももちろん上下関係はありますが、日本ほど堅苦しい関係ではないのです。

顧客満足度を高めるため、礼儀正しく丁寧な接客の指導もされはいますが、とりわけ日本は厳しいことで知られています。

 

オーストリアなど国によってはむしろ、店員の方が偉そうに振る舞うこともあるのだそう。

こぼれてしまうのではないかというくらい、テーブルに料理の乗った皿をバーンと置いてくる店員もいたそうな。

欧米兼では基本的に謝るという発想はありません。

(謝ると自分が悪いと認めてしまうことになるので)

お客”様”と付けることさえ、海外の人からすると違和感を感じることなのでしょう。

 

お客様は神様ではない

「お客様は神様だろうが!」という人はすでにお客様ではありません。

ゴネればなんでも言う通りになるという考え方は間違いです。

 

お客様は神様でもなければ、店員は奴隷でもない。

お互いに対等な関係の人間なのです。

 

サービスを提供する側が、1歩引いた謙虚な行動を取っているだけにすぎません。

 

理不尽なお客さんからは逃れられない

何が悪質なクレームを言うお客さんを生み出しているのかというと、あなたの働く会社やお店なのです。

組織の経営方針が

「お客さんには決して否定言葉を使わず、こちらか反論をしてはいけない。必ず下手に出ること。」

といったものだから、現場で働くものたちは涙を呑んで理不尽な要求に苦しまなければならないのです。

 

会社のチームとして仕事をやる以上、「嫌だね!」とお客さんを突っぱねることなんてできません。

 

雇われている以上、会議や接客や電話応対に社内での付き合いに朝起きる時間にいたるまで・・・。

嫌な仕事も我慢してこなさなければなりません。

 

あなた自身が変わるしかない

残念ながらこの先もお客≫店員という構図は買わないでしょう。

会社組織に変化を求めるのは時間の無駄です。

 

この理不尽な状況を変えるためには、あなた自身が変わるしかありません。

会社に雇われずとも、自分で稼いでいくだけの能力を身に着けるしかないのです。

 

あなたが自分で自分のビジネスを持てばいいのです。

そうすればお客さんを自由に選ぶことができるようになります。

嫌なお客さんがくれば、お断りするのも自由です。

(もちろんビジネスを成功させていくためには、おもてなしの精神も必要)

 

ビジネスといっても、銀行で借金したり、大きなオフィスビルを建てたりという必要はありません。

今の時代ブログ1つあれば、誰でも簡単にビジネスを始めることができます。

 

「雇われて生きていくと、一生会社都合の理不尽な思いをしながら生きていくことになってしまう」

こういった危機感を感じたからこそ、僕はブログを頑張ろうと思ったのです。

コツコツと頑張れば、ブログの広告収入だけで食べていけるようになります。

 

この記事のまとめ

まとめ
  • お客様は神様の本来の意味は歌手三波春夫の志のこと
  • 上下関係に厳しい日本文化と行き過ぎた過剰サービスによって神様思考のお客さんは増えてしまった
  • 店員とお客さんの関係はあくまでも対等なもの
  • 会社やお店という組織に属している限り、悪質なクレーマーからは逃れられない

 

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