学校教育は洗脳か?4つの観点から考えてみた

こんにちは、ダイスケです。

最近ネットサーフィンをしているととあるブロガーさんのブログにこう書かれていました。

「学校教育は洗脳だ!」

という論調を見ました。

 

これはおもしろいと思い、僕もブログの筆を取ってみた次第です。

 

たぶんこのおっちゃんの影響だと思いますが。

↓↓↓

 

洗脳という表現が正しいかどうかは置いておき、洗脳と言われる理由を僕なりに4つの観点から書いてみました。

 

サラリーマンの育成に特化されている

今の日本の学校教育というのは、雇われ労働者を育成するための教育システムです。

「会社に雇われてサラリーマンとして人生を生きていくんだ」

という考えの人にとっては、もっとも適した教育の場であるのかもしれません。

 

逆に言えば、個人や会社を立ち上げて稼ぐ方法という事に関してはノータッチです。

起業や投資といったことに関してはほとんど教えてくれません。

 

「世の中には自分でビジネスをして生計を立てている人がいる。」

「大きなお金を稼いでいる人がいる。」

 

事実としてそういう人たちがいることは知っています。

ただし知っているだけにとどまり、技術的にどうやってそうなるのかということについて触れることはありません。

 

ブログを使ってビジネスをする方法。

人通りの少ない路地裏のパン屋にお客さんを集める方法。

客単価1万3千円・リピート率90%美容院の経営方法。

元手0借金のリスクなく起業する方法。

 

このような知識に触れる機会はないのです。

 

やりたくもない我慢を強いられてしまう

当たり前だけど変なこと
  • 時間割で区切られたスケジュール
  • 給食
  • 運動会などの行事
  • 最低9年間決められた科目の勉強
  • ペーパーテスト
  • 規定された制服
  • 先生が黒板に文字を書く授業スタイル
  • 長期間の同じコミュニティ

これらはすごく当たり前のことのように学校生活の一環として行われています。

しかしいま思うとどれも変なことばかりです。

 

僕はこれら当たり前のことを、子供に我慢を覚えさせる仕組みのように思えるのです。

 

どうしてわざわざ1限目は国語・・・2限目は算数と分ける必要があるのでしょう?

いきなり大学生のように自由にスケジュールを組むのは難しくても、毎週のように決められた科目を決められた時間に勉強する必要があるのでしょうか?

絵を描きたい子もいれば、生物の観察をしたい子だっているはずです。

子供のやりたいことが時間割とチャイムの音によって阻害されてしまっています。

 

アメリカには10歳で大学に進学してしまうような頭の良い子もいます。

興味のない必修科目を勉強させていては、伸びる子の芽を摘んでしまうことにもなります。

スポーツでも芸術でも学問でも、能力のある子に周りと同じペースで進学させるのはかわいそうです。

 

アクセサリーや髪型に厳しい校則を用意する必要があるのかも疑問です。

実社会に出れば、いろんな格好をした人が街を歩いています。

スイスの学校では服装や髪型は自由です。

 

 

先生が1回ずつクラスごとに黒板の前で授業をするというのも非効率です。

あらかじめ撮影しておき、動画で配信すれば効率的です。

倍速再生もできるし、何度でも復習できます。

先生も同じことを何度も話す必要がありません。

 

 

人は十人十色です。

集団生活の中で我慢や妥協をすることはもちろん必要になります。

しかし社会人となった今学生生活の時を思い出すと、あまりにも自由が阻害されていたと感じざる負えません。

あまりにも極端な方向に凝り固まりすぎている感は否めません。

 

同調圧力にさらされる

協調性:「みんなで協力してこの課題をやり遂げよう」

同調圧力:「みんな苦労しているんだから、お前ひとりだけ逃げるなよ」

閉塞された狭いコミュニティの中にずーっといると、同調圧力というものを受けるようになります。

Wikipediaによるとこうです。

 

同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に強引に合わせさすことを指す。

 

簡単に書くと、暗黙のうちに多数派が正義であり少数派の意見を言う人は異分子として扱われるということです。

 

 

同調圧力下では、暗黙の裡に多数派が正義となります。

みんなと比べ変わった考えを持っていたり、逸脱した行動を取る人はダメなヤツとみられます。

 

少数派が学校を嫌に感じてしまう理由の1つです。

学校や会社のような閉鎖的でかつ長時間一緒に過ごすような場所では、同調圧力がいっそう強くなります。

 

 

 

「本当はサッカーがしたいけどみんなに合わせてドッジボールをやりたいと言う。」

「変な発言をしてみんなに嫌われたくないから黙っておく」

「赤信号だけどみんなが渡るのであれば自分も渡る」

 

集団から逸脱した高度を取ると、仲間外れやいじめにあってしまうので。

 

人はひとりぼっちの状態に恐怖を感じる生き物です。

 

日中のほとんどを学校で過ごす日々は9年間。

たくさんの生徒がいるといっても、クラスや性格の相性もあります。

付き合える人もほんの一部。

一度グループからハブられることほど、恐ろしいものはないのではないでしょうか?

同調圧力が強くなってしまうことは自明の理です。

 

暗記中心の勉強

コンピューターやインターネットが発達してきてから、暗記よりも考える力の方が大事とされる世の中に変わってきました。

 

もちろん「字がまったく読めない」とか、「足し算や引き算もできない」では困ります。

しかし中学・・・高校と進学していくと、学校の勉強に違和感を感じる人は少なくないはずです。

 

微分・積分や物理の難しい公式。

漢字だらけの古文・漢文。

グローバル教育とか言って覚えさせられる大量の英単語。

 

本当に必要でしょうか?

 

 

もちろん学問発展のために必要なことです。

教養を深めるのにも役立つでしょう。

 

ところが学校の授業でそれらの科目を勉強する目的はちょっとずれています。

あくまでもテストでいい点を取るための暗記ツールと化しています。

社会に出ても役には立ちません。

 

「ああーなんかこの公式習ったなー。もう忘れちゃったけどw」

・・・こういう人の何と多いことでしょう。

勉強する意味をまったく感じません。

 

ネットで検索すればなんでも出てくるし、知識の価値というのは下がりまくっています。

大人になって働きだしたら、教科書のように正解があるわけではありませんよね。

するとやはり、暗記を中心とした学習には疑問を感じます。

 

まとめ

総じて考えてみると日本の学校教育というのは、

「上の人の言うことに対して、嫌なことでもでも我慢して従う人を育成する教育モデル」

のように見えるのです。

 

就職して働くことに極端に特化した教育をしているから、”洗脳”というふうに言われるのだと思います。

 

僕自身もう一度学校に戻りたいかと訊かれたら、「No!」と答えます。

いえ叫びます。

寒い中校庭をマラソンしたり、痛いのを我慢して組体操なんて嫌です。

たまたま学区が同じだったというだけど、特に仲良くしたくもない子と1年間一緒に過ごすのも退屈です。

1日中机に座って授業を受けるなんて御免こうむります。

 

僕も学校になじめなくて中退してしまった達ですが、外から眺めて初めておかしいなぁと気付くところがたくさんあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


CAPTCHA Image
Reload Image